掲示板から

「掲示板」に書いたものを加筆訂正してあります。

個別指導がよいか、集団授業がよいか

個別指導がよいか、集団授業がよいかはひとつはお子さんの性格によるところが大きいと思います。
ただし、あくまでも個別指導は一種のカンフル剤として使った方がよいと思います。
個別指導は確かに、ちゃんとした先生に当たり(見ているとここは難しいところですが)しっかり指導してもらえば、ある線まで効果はあります。
しかし、かゆいところに手が届きすぎる指導は子供の自主性や判断力を鈍らせます。
その場その場の問題は解けるようになるかもしれませんが、自分で何とかしようという大事な力を損なう可能性もあると思います。
さらに、受験は一種の競争ですから、競争の場に身を置いていること自体、大事な力を育てています。
人がどう考え、どこで悩んでいるのか、まわりがわかっているのに自分だけわかっていない、またはその逆、といった感覚も、鋭敏になり過ぎてはいけませんが、大事でしょう。
人の言っていることを理解しようとするのは大事な力です(これがこの頃の子供、いや大人も?はたまた私も弱くなっている気がします。気をつけよう)。
授業においても、入試問題においても、大きく言えば社会に出ても、その力が物事を解決する大きな力になると思います。
個別指導は、子供にあわせた指導です。
是非はあると思いますが、あまりにもその子にあわせた指導であると、わかりやすいかもしれませんが、長期的に見ると上記の理由も含めて、よいことばかりとは思えません。
塾業界も、少子化あり、乱塾・乱立ありのせいかお客集めに必死で、できるだけ子供受けがいいように、なるべく子供に合わせるようにと必死な感があります。
商売としてはそれが正解かもしれませんが、教える立場としては疑問が残ります。手取り足取りの教育が、子供にとって良いことなのか。
塾も個別指導も、これは同じかもしれませんが、理想の教育は自転車の補助輪だと思います。
いつか一人で自転車が乗れるように、自分の思うまま目的に向かって走れるように、その手助けをしている。それが一番うまくいっている状態だと思います。
これまた、若い先生によく言います。
「教室の主役はあくまで子供であって、先生ではありません。主役が引き立つように脇役はがんばるのです」
話が大きく、また、それてしまったかもしれません。
ご質問の内容について、個人的な見解としては、あくまでも塾を主体に置き、必要と感じればワンポイントレッスン的に(たとえば短期のみ、1単元のみといった)使う手はあると思います。
ただし、個人で習ったせいで、塾の授業をおろそかにしては本末転倒です。個別指導はあくまでも短期サポートとしてあるべきだと思います。使うなら解き方など塾にあわせ、塾のサポートをしてくれる個別指導がよいと思います。
通われている塾がどういう塾かはわかりませんが、何らかのきっかけがほしくて個別をご検討されているとしたら、私なら子供に「塾の先生に毎日かならず1問、算数の質問をして帰りなさい」などアドバイスすると思います。



受験算数にそろばんは必要か
私は中学受験算数にそろばんが必須だとは思っていません。
計算力が算数において大事な武器であることはこのホームページ内で繰り返し強調しました。
それは間違いないことなのですが、計算力が大事だからと言って、毎日何十問も計算練習をさせるのは基本的には賛成ではありません(そのことについては、また別の機会に書きたいと思います)。
そろばんが暗算能力で非常に大きな力になることは間違いありません。
それが自信にもつながり、受験算数においても有効な力であることも間違いないでしょう。
実際、そろばんが得意で(レベルの差はありますが)算数が得意でない子はたぶんあまり見たことがありません。
今の学校の算数の教科書には「電卓」マークがついているようですが、少し大変な計算を「電卓」でやる子どもと、頭の中のそろばんを使って一瞬でやる子どもでは、力の差があって当然です。
しかし、逆は必ずしも真ならず、です。
超トップの子も含めて、算数のできる子がすべてそろばんができるかというと、答えは当然「否」です。
先日書いた方程式の話と同様に、そろばんができれば大きな力にはなるでしょうが、かならず必要であるとは思いません。
ちなみに私はできません。
講師仲間の中にも何人かそろばんの達人がいて、暗算ができてうらやましく、ああ、小さい頃にまじめにやっておけば良かったと思うことは良くあります。
しかし算数を解くスピードであまり違った記憶がありませんし(単純な計算は当然別です)、私の他にも、そろばんはできないけれど(教え方の話ではなく)純粋に算数や数学が抜群に強い講師、解くのが速い講師はたくさんいます(講師はふつうに算数や数学に強くなければ話になりませんが、それ以上に、ということです)。
人間には絶対音感や語学能力などある年令の時にしか身につかない能力があるようです。
そろばんがそうであるかどうかは詳しくありませんが、そういう能力を獲得するときの絶対条件として、本人が楽しんでいること、興味を持っていることが必要らしいです。
将棋や囲碁の天才の頭の中にはビジュアルな無数の盤があり、現在のコンピューターでは追いつけないくらい、さらに無数の手を視覚的に読める能力があるようです。
同じようにそろばんの達人の頭の中には目からインプットされた数字の組が瞬時にそろばんの玉に変換されるのでしょう。それは確かに算数・数学の世界の端の方で子どもに教えている自分にとってもうらやましい能力です。
しかしその能力は自分が興味のない段階で、人から押し付けられて備わるものなのかどうかはわかりません。昔のいわゆるスポコン漫画のように、幼少時に野球などを無理やりやらされて、憎みながらもその世界の魅力にはまっていくこともあるのかも知れませんが。
私見としては、そろばんに限らず、いかに算数が楽しいものであるか、それを感じられるものがたくさん出てくることが、算数脳を作る一番の薬であると思います。
自分(子ども)にあったそういうものをたくさん提示してあげて、自分から手に取ったものを応援してあげるのがいちばん良いのではないでしょうか。

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